機能的非識字に関して教育ができそうなこと(メモ書き程度)
新たな「非識字者」が増えている:Facebookを読めても、現実は理解できない人たち
機能的非識字者
社会の中で能動的に活動するため、自身の目的を達成するため、自身の知識や能力を発展させるために、文章を理解し、評価し、利用し、関与していく能力をもたない人
wikipediaにも記述がある。
こんなエントリを書いている私も「機能的非識字者」かもしれない。
- さまざまな段階の文法的正確さや文体などが水準に及ばない
- 報告書が上手く書けない。
- 稟議書が上手く書けない。
- プレゼンがうまくできない。
- 論文が書けない。
- 起承転結が書けない。
- 結承転提が書けない。
この問題に「異年齢教育×高齢化社会」で解決できないか
比較的元気な高齢者を学校に招いて
- 学生が報告し、フィードバックを得る+高齢者も学ぶ。
- 学生がプレゼンをし、フィードバックを得る+高齢者も学ぶ。
- そこで得た内容をもとに作文・論文を書く
大学生を学校に招いて
- 書いた作文・論文のフィードバックを得る+大学生は復習する。
チーム学習
- 3~5人1組でチームを組み、それぞれ個別の課題に取り組み、高齢者の方たちにアプローチする
ねらい
- 人に伝える力をつける
- カンニングOKという世の中と同じ学習プロセスを踏む
- 説明できるようになるまで、学びを昇華する
- チームで競争・共創する力をつける
思うこと。
「理解する事・理解される事」がものすごく重要。 理解する力、理解しようとするためにすること、理解されるためにする準備、理解されるためにする臨機応変、そんなことは生きていくうえでものすごく重要なベースなんだと思う。
そもそも理解する力、理解される力がないと授業が進まない気がする。
自分がどこまでできているか理解する。どこまでできたかを理解してもらう。 この二つができて初めて次のステップに進めると思う。
マスターセンセイに聞く前に。
マスターセンセイ。ここがわからないので教えてください。って言う前に、 事前に自分がどこまで解かってるか?を伝えるプロセスがあるはず
おなじ教育メソッドで、誰に対しても同じ振る舞いで、受講生全員が学ぶなんてありえない。
コンピュータだって同じ振る舞いをするわけじゃない。
相手がどのレベルなのかを知らないまま、誰にでも同じ振る舞いで皆が同様の結果を産むのはありえない。コンピュータですらデバイスやOSの種類によってまったく動作してくれないんだし。
同じ振る舞いで同じ動作になるのは同じ環境だからこそ。 C言語で書いたものが他のOSと同様に振る舞うのはコンパイラが振る舞いを変えてるから。 JAVAがどこでも動くのはランタイムが振る舞いのコンピュータに合わせてくれているから。
この文章を読み返して
やっぱり私は「機能的非識字者」だろうと。。。